新緑はなんといっても那須高原が一番だと思っている。街道の新緑や、那須から塩原へぬける県道沿いの牧草地帯のみどりとそれを彩るさまざまなグラデーションをもった新緑もいい。
5 月の連休明けぐらいの街道を高原へ向かって上っていくと、萌黄色のふっくらとした新緑がアーチのように街道を蔽 (おお) って迎えてくれる。幼い稲が植わったばかりの田んぼには那須連山が蒼く映り、かすみたなびく裾野には遅咲きの山桜が萌黄になじんで乳色の靄をかけたようにやわらかい。
高原の春を満喫しながら車を走らせ、コーヒー屋を目指す。カフェ NASUNO SHOZO にはおいしいコーヒーがある。一時オーナーみずから焙煎していたこともあるここの深炒りコーヒーは図太くて穏やかで知的な濃くがある。雑木林に囲まれたテラスでコーヒーをすすりながら木漏れ日がグラスの水に揺れるのをながめる。大きな杉の木がテラスの床をつき抜けて空に伸びている。
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| カフェ NASUNO SHOZO (写真: 筆者) |
そんなとりとめもないことを思い巡らしながらゆったりとした時間を楽しむ。コーヒーに飽きたら、濃い目のミルクティーを頼んで松の実パイでも食べよう。太陽が角度を変えて木漏れ日がゆるやかにおぼろな夕日に変わるまで。
5 月に高原の新緑を楽しんだら、6 月には日食を体験しにアフリカへ行こう。
●皆既日食から宇宙を
この 6 月、今世紀最初の全皆既日食がアフリカで見れる。晴天の空がにわかに暗くなり、大気の温度が急激に下がる。月が太陽を隠して影を落とし、先陣のような風が起こり地上に暗闇が走る。最後の幾すじかの太陽光線が消えうせると、黒い円の外側にコロナが現れ、日中の空に星が輝きはじめる。
皆既日食は古代から人々に脅威とともに「センス オブ ワンダー」を与えてきた天文現象だ。そしてこのワンダー、「なぜだろう、なぜかしら」が知的な刺激となり人は自然を哲学すること学んできた。
「継続は力なり」ということわざがあるが、観測の継続は力どころか知的文明の始まりだった。皆既日食や月食は太陽、地球、そして月が串し刺しにできるほどぴったりと一直線にならんだときに起きる。月食は太陽と月の間に地球が入り、地球がその影を月の表面に映し出す現象だが、古代ギリシャの天文学者たちはこの月食を丹念に観察し、地球が丸いことを発見した。また現象は観測によってなんらかの説明を導き出せると悟った彼らは、さらに宇宙は理解可能であり論理的に説明できると信じるに至った。
現象を観測しデータを集め想像性と直感を駆使して理論建てをするという科学の基本方法も発達していった。紀元前 550 年、ピタゴラス (Pythagoras. 580?−500? B.C.) は宇宙は数理によって顕わせると提唱し、その約 200 年後にアリストテレス (Aristotle. 384−322 B.C.) は宇宙は物理法則によって采配されているのではないかと推理した。そして太陽、月、星々、惑星などが地球を中心にしてまわっているという理論を導き出した。
この地球を宇宙の中心ととらえた天動説は、完璧ではなかった。天動説は簡単に言うとプラネタリウムの真中に地球を起き、星々はドームの壁に糊付されたように固定され、静止した地球を中心にしてドームそのものが回転しているというような考え方だった。
確かに星はあまりにも遠いのでまるで夜空に固定されているように見えても仕方がないが、地球からほど遠くない惑星の動きが説明できなかった。地球と他の惑星 (火星、木星、土星など) の軌道上の位置関係によっては、それらがまるで逆行するように見えるからだ。
紀元前 270 年頃、ピタゴラス以前のアルキメデス (Archimedes. 287?−212B.C.) の時代にこの惑星の逆行を正しく解釈していた人がいた。アリスタルコス (Aristarchus. 310?-250? B.C.) である。彼は火星の逆行を観測して、その動きが火星の逆行によるものではなく、我々のいる地球が動いているために逆行しているように見えるだけであり、地球も含めて惑星が太陽の周りを回っていると唱えていたが、当時の常識や規範を覆すような彼の考えは受け入れられなかった。
またアリスタルコスにはこの常識を覆すような理論をサポートできるだけの論拠となる計算式も用意できなかった。直感で真理をとらえているのに、それを完全な数式や整然とした理論で説明できなかった彼はきっとくやしい想いをしていたに違いない。
去年、プレアデスとハイヤデス星雲を背景に数ヶ月にわたり木星と土星の逆行が観測された。20 年に一度にしか起こらないというこの現象はときおり月が接近するなどして天文ファンを多いに喜ばせた。来る 2003 年には 7 月から 11 月にかけて星座アクエリアスの辺りで火星のワルツ (左回り) が観測できる予定である。
天文現象は一朝一夕に全容を観測できるというものではなく、ときには数ヶ月あるいは数年にわたって観測し続けなければならないものもある。忙しいうえにインスタント娯楽のあふれた現代人には想像しがたいかもしれないが古代の人々には毎夜、星の出がどんなにか待ち遠しかったに違いない。そして学者たちには自然を哲学するための鍵だったはずだ。
ギリシャの学者たちはこの惑星の逆行運動に頭を悩ませていた。アレキサンドリア図書館には数百年にわたる観測データが保存されていたが、このデータを執念深く調べていた学者がいた。13巻にわたる計算書を纏め上げた大学術書「アルマゲスト」を著したプトレマイオス (Ptolemy, AD 100?-170?) であった。
数理学を駆使して太陽、月、惑星の運動をかなり緻密に割り出してみごとに天体の運動を説明したアルマゲストはその後 1000 年の間、天文学のバイブルとさえ言われたほどに人々に信頼された。天動説 (地球を中心にして天空が動く) はこのプトレマイオスによって完成されたかのようであった、がしかし、
中世にはいって天文学者たちはプトレマイオスの説明に満足できなくなる。なぜならプトレマイオスの理論は惑星や月をそれぞれまったく個別のものとしてとらえ、それぞれが勝手な運動をしており、これらの運動を連関した一連の運動とはとらえていなかったためである。ひとつひとつを別個にみると確かにプトレマイオスの説明は正しいようなのだが月は月の運動を説明する数理、惑星は惑星、太陽は太陽というふうに脈絡のない複雑な理論に疑いを持ち始めていた。
また当時、学者たちの心に共通したある想いがあった。それは天体の運動はもっとずっとシンプルな原理で説明できるのではないか、シンプルな原理原則こそ正しい、という一種の風潮であった。これはオッカムズ・レイザー (Occam's razor) で有名な当時の哲学者オッカム (William Occam, 1285-1349?) の「真理は、ややこしい解釈をすべて削ぎ落としたごくシンプルな理論にこそ宿る」というもの。この言い分そのものにはなんの裏付けも証拠もなかったが学者たちの心にはなんともエレガントで理想的とさえ思えたのである。このオッカムの言はその後多くの科学者たちの座右の銘となった。
時は 15 世紀、ポーランド生まれの天文学者ニコラス・コペルニクス (Nicolaus Copernicus, 1473-1543) は大学で数学と光学を修めた後、カトリック教会の参事として高位職を務めながら学徒でもあった。彼はカテドラルのひっそりと静まり返った小塔部屋でもくもくと観測し続け、地球や他の惑星が太陽を中心にしてそのまわりを回っていることを再発見した。しかし、何世紀もの間プトレマイオスの天動説を信じてきた人々にはやはり受け入れられなかった。惑星の運動について正確に記述されるまでにはまだしばらくの時間が必要だった。
16 世紀、ブラーエ (Tycho Brahe, 1546-1601) はそれまでの哲学的解釈から一歩踏み出た新しい考えを提案した。彼はそれぞれの惑星の位置を正確に測ることが第一と考え、何十年もかけて惑星の位置を測り続け膨大な量のデータを表に現した。このように膨大なデータを集めつつも、しかしブラーエは誤った解釈をしてしまう。彼はコペルニクスの地動説は誤りであり、やはりプトレマイオスの天動説こそが正しいと議論するが、大酒飲みだった彼は研究半ばにして死んでしまう。
このブラーエの残した膨大なデータを引き継いで研究を続けたのが数学者のケプラー (Johannes Kepler, 1571-1630) だった。ケプラーは丹念にデータを分析し、あるパターンを発見した。それはシンプルでしかも理にかなった惑星の運動法則であった。「惑星はそれぞれの楕円軌道をもって太陽の周りを回っている (第一法則」というものであった。さらにケプラーは「惑星は太陽から遠い軌道を通るときにその運動速度は遅く、近い軌道を通るときには速度が速い (第二法則)」ことも発見した。
ケプラーの三番目の法則は単純で美しい「惑星の公転周期の 2 乗は太陽から惑星までの平均距離の3乗に等しい」というものである。
公転周期を P、平均距離を a とおき
P2 = a3
地球を例にとってみると、地球の公転周期は 1 年、そして距離は 1AU だから
12 (年) = 13 (AU)
AU: 天文単位 (Astronomical unit)
(太陽・地球間の平均距離約 1 億 4960 万キロを 1 とした単位)
このケプラーの法則を使って、たとえば 8 年の周期で地球に接近するすい星があったとしよう。するとこのすい星の軌道周期は 8 だから
P2 = 82 = 8 x 8 = 64
64 = a3 = a x a x a
64 = 3√64 = 4 x 4 x 4 となって、このすい星の太陽からの平均距離は 4AU ということがわかる。
ニュートンは物体は他から力を加えられないかぎり等速で同じ方向に運動し続ける、と考え、さらに円軌道に沿うためには天使はしょっちゅう押す方向を変えなければならない、つまり惑星にはなんらかの力が働いているために円軌道に沿って運動していると考えた。
ちょっと実験。
1 メートルぐらいのヒモを用意して、一方の先にピンポンボールを結びつけてもう一方のヒモの端を手に持ち頭の上で振りまわしてみよう。この時手はなるべく固定して手首の動きだけでヒモの先のピンポンボールを円軌道に載っているように回し、次にソフトボールに変えて回してみよう。
頭の上に軌道を保つためにはピンポンでは手首のスナップをちょっと利かせるだけで回り、しかもスピードが速い。ソフトボールになるとかなりの力でヒモを押さえ、腕全体で引きを調節しないと頭の上の軌道に載せるにはなかなか力がいることがわかり、スピードはピンポンにくらべるとずっと遅いことがわかる。
上記の実験をヒモの長さを変えてやってみよう。同じピンポンボールでもヒモを長くすると回転速度がずっと遅くなるはずだ。またソフトボールでもヒモを短くすると回転は速くなり、ヒモを長くすると速度はずっと遅くなるはずだ。
この実験でわかるようにボールを引きつけていないとどこかへ飛んでいってしまう。この「引き」が重力であり、太陽のまわりを公転する惑星はまるでヒモでつながっているかのように重力で引きつけられている。
慣性の法則から「物体は他から力を加えられない限り等速直線運動をする」ことがわかり、このことから「円運動をしている惑星には何か力が働いているに違いない」と導き出し、さらにその力は「重力」であるというところまできた。そしてニュートンは最初その重力は太陽から出ていると考え、さらにこの重力を他の現象にも当てはめて考えた。
すでに望遠鏡も発明されガリレオがこれを多いに活用して木星の衛星などを発見していたから、ケプラーの法則を基にしてニュートンがすべてを総括するための材料はそろっていたと言える。彼は太陽を中心にした惑星全体の動きをとらえて地球は太陽に引きつけられ、月は地球に引きつけられ、木星の衛星は木星の重力に引きつけられ、という具合に太陽系全体の動きを観察した結果、物体はすべて互いに引きつけ合っていると考えるに至った。またすべてのものが互いに引きつけ合っているとすれば物体間の距離が多いに重要であるとも考えた。
●ニュートンバージョンのケプラーの第三法則を記述する数式
この公式はどんな 2 つの物体の場合にも適用できる。たとえば上空の軌道を周回する国際宇宙ステーションなどにも適用できる。物体1を地球にして物体 2 を宇宙ステーションとして実際にステーションがどんな周期で地球を回っているのか計算してみよう。
6,378,000m + 400,000m = 6,778,000
さてすっかり回り道をしてしまった。上記の重力率を見ると良くわかるが重力は微量だが働いている。物質はすべて重力をもち互いに引きつけ合う性質をもつため、物質は集まる。この集まる性質のためにガスや塵は集まりやがて太陽や惑星を形成し、星ぼしが集まり星雲となり、やがて銀河が形成される。このようにしてニュートンにより宇宙を支配する重力の法則は確立していたのだが、20 世紀初頭、アインシュタインによってこのニュートンの法則には修正が加えられた。
その修正とはどんなものだったかと言うと、ニュートンの重力の法則では「すべての物質は物を引きつける性質をもつ」とあるが、アインシュタインは相対論によってこれを「物質はすべてエネルギーを持ち、エネルギーは物質量を持つ、よってエネルギーは物を引きつける性質を持つ」と修正した。
アインシュタインによれば光子 (photon) はエネルギーを持つので重力によって引きつけられるはずだとした。つまり太陽の近くを通る光は太陽の重力に引きつけられて曲がるはずである、というものだ。太陽はたいへん重い質量をもつため、この近くを通るものは光でも引きつけられる、と予測した。このような現象は重力レンズと呼ばれている。
1917 年に完成して発表された一般相対性理論に学者をはじめ人々は驚いた。この完成版によると「物質が互いに引きつけ合うというその重力の正体は、実は重力により時空が曲がっているためである」とした。重力とはニュートンが言ったような「物体間の間に働く力」ではなく実は「時空の曲がり」であるというのだ。アインシュタインはまた空間と時間はなにか別のものではなく、切り離すことのできないものであるとも言った。
これはたとえば、友人と会う約束をしたとする。その約束は「2001 年の 4 月 25 日の 3 時に新宿駅ビル 3 階のエレベーターの前で」というものだったとする。この約束は時間と空間が一体になっている。時間を間違えても、空間を取り違えても友人には会えない。 (もちろんポケベルや携帯電話はないものとして) というように時間と空間が一体になった時空、その「時空に物体あるいはエネルギーが存在するとき、その時空は曲がる」というのが一般相対性理論の骨格だ。そして「物体はその時空の曲がりにそって動いているにすぎないのだが、その様態がまるで重力で引きつけられているように見える」のだとした。この相対論は 1919 年の皆既日食によって早速実験されることになった。
確かに物理学はアインシュタインの相対論以前と以後とで分けられ、ニュートンの重力に関する解釈は修正されたが、わたしたちが生活するうえでは時空の曲がりに遭遇することはまずないので心配はいらない。かなりの質量をもった物体でもないかぎり時空は曲がらない。わたしたちの生活圏内ではニュートン力学が有効であるので、りんごは落ちるし桜も散る。
実験は、もし本当に重力レンズによって光が曲がるのなら、あるいは時空が曲がっているのなら、皆既日食の起きる時間に太陽の後方に位置する恒星の光はずれて観測されるはずである、と仮定して観測を行うものだった。
イギリスの学者アーサー・エディントン (Arthur Eddington, 1882-1944) は 2 つの観測隊を組み、ひとグループはブラジルへ、自らは南アフリカへと向かった。この観測でアインシュタインの一般相対性理論が予測した光の曲がりを確かめるためだった。エディントンの観測結果からアインシュタインの予測が正しかったことが確認されアインシュタインは一遍に時の人となった。1922 年にオーストラリアで観測された皆既日食には相対論を再度確認しようとしてより多くの科学者が集り、この時も皆、アインシュタインの言う時空の曲がりを観察することになったのだった。
今世紀最初の日食が 6 月 21 日にアフリカで観測できる予定だ。日食による月の影は約 200 キロの幅で秒速 0.554 キロの速さでアフリカ西南部、アンゴラの海岸に落ち、その後やや速度を速めて東へ移動する。残念ながらアンゴラは政情不安のため観測には向かないが、ザンビアの西でも 4 分弱の日食が観測できる。ルサカの真上を通りジンバブエからモザンビークに達した辺りから月と太陽の重なりは角度を下げ、ついには 23 度までになりやがてインド洋の水平線へと落ちて行く。
さあアフリカで日食を体験し、この夏こそ古代の人々のように星のロマンを追いかけてみてはいかがでしょうか。
皆既日食について
●筆者によるこれまでの記事(ただいま工事中)
「森羅万象」という言葉があるが、森には深淵なる宇宙の現象が顕われている、というような気がしてならない。きっと南方熊楠も宇宙のことに想いを馳せながら森の中をうろうろと歩き回ったのではないだろうか。森の中でじっくりとひとつのものを観察してみる。ゆっくりと瞑想でもするように。するとなにかが見えてくる。普段気がつかない新しい物事に気がつく自分がいる……。
南極で見つかった ALH84001 隕石に生命の痕跡が見られるとする一部の科学者たちの主張は、それまで“推測”でしかなかった火星生命の可能性を“仮説”に変えたわけだが、最近の研究ではさらにその仮説を強化するかもしれない推定証拠が出てきている。隕石中に生命現象に起因する磁鉄鉱が発見されたという昨年末の発表に続いて、それをさらに裏付ける論文が先月になって公開された。隕石が少しずつ語りはじめた物語から、科学者たちはどのようなシナリオを紡ぎだそうとしているのだろか。
自然現象は確率的に一番起こりそうなことへ向かう。そして“平衡”とは言いかえれば無秩序あるいは混沌を意味する。だが、この世の現象のすべてが一番確率の高い「無秩序」へ向かっているなんて、私にはちょっとすぐには信じられない。自分の中にある直感のようなものに相反する気持ちをぬぐいきれないのだ。世の中すべてが「確率」に支配されているなんて!?
細部にこだわらず、全体を俯瞰することは、深い洞察への手がかりを得るための効果的な手法となる。たとえば、“平衡”という考え方がある。すべての物質はその全体が“平衡”状態へと向かう、と科学の世界では教えられる。沸きたてのヤカンから宇宙にいたるまで、はては人間の心?までが、この“平衡”状態へと向かおうとするのだ。
1999年秋、私が通う米ワシントン州の小さな大学に天文物理と量子力学、それに特殊/一般相対論の3本柱を軸に、宇宙理論までカバーするという世にも素晴らしいコースが新設された。私は身の程を知りつつも、このコースを思いきって受講することにした。科学の魅力にとりつかれていた私にとって、どんな苦労も大した問題とは思えなかったのである。
足立 智子(あだち・ともこ)
米ニューヨーク州在住。科学ライター/翻訳家。本人のホームページはこちら。