「平衡」心のバランスから、膨張する宇宙まで

エヴァグリーン大学ではたくさんのことを学んだ。心に深く刻まれ、今もなお実践し精進し続けていることがある。それは「全体像を捕らえる」という一種の技である。細かいことは取り合えず置いといて、ザァーッと全体像を捕らえるということである。エネルギーの流れる方向や、温度の勾配など、ざっと把握して思考のなかに抱き込み、一歩下がって全体像を捕らえてみる。主題をおおらかに包み込んでみる。おおまかな全体像が見えてくると、頭の中でニューロンが伸びてつながり始め、これまでにつながりのなかった事柄が一連のつながりを持ち始め、何か新らしいものが見えてきたり、面白い考えが浮かんできたりする。数学の不得手をカバーするために磨いた技ともいえるかもしれないのだが。

どこの大学にもたぶん名物教授というのはいると思うが、物理のジータ(Zita)教授は粋でイナセな教授である。彼女は米国の科学者の間で良く言ういわゆる「バック・オブ・ダ・エンヴィロップ・サイエンティスト」つまりヒマさえあれば封筒やらそこいらの紙切れで常に計算をしている科学者のことだ。なにか質問するとすかさず「ちょっと待って」と言って計算を始める。原子核物理学が専門の彼女は数学のマスターでもあり、数学的にモノを考え、数字の裏付けをもって議論する。コンピュータ・ラブ(研究室)でリサーチについてああでもないこうでもないとディスカッションしていると、彼女のお気に入りのアーミーナイフで青りんごをザクザクと手の平の上で切り分けてくれる。このジータ教授が口癖のように私たちに言っていたのが、「Get the big picture!」(全体像をつかめ)だった。

私がここで書くことがらが必ずしも仔細にわたったものではないかもしれないが、細かいことに気を使っていると全体像はなかなかつかみにくい。私は司馬遼太郎の幕末モノが大好きだが、ことに大風呂敷をすぐに広げてしまう後藤象二郎や、科学者で言えば奇抜な宇宙理論で有名なズウィッキー(Zwicky)やホイル(Fred Hoyle)といったところが好きだ。かのリチャード・フェイマン(Richard Feynman)も「まず推量してみることが大事」と唱えている。もちろん私は彼らのように大きな器ではないし、私の拙文を読んでくださる方々には心から感謝している。

 10年以上も前のことになる。中国、北京で起きた民主化運動の余波が、まだ形となって現れる以前のネパールへ旅をした。日本経済は絶頂期で学生が卒業旅行と称して世界中に出かけ、一般の海外旅行もはなばなしく、ネパールでも荷担ぎや炊飯担当のシェルパを雇って大名旅行をする日本人の姿が多く見られた。当時トリブファン国際空港は天井の高いバラック建てで、その向こうに日本の某建設会社による完成まじかの新空港が見えていた。

ネパールは人がいい、子供たちの顔もいい。街のあちらこちらに牛が寝そべり、通りの角にはかならず祠が祭ってあり、象も牛も木もみんな神さまだ。ドイツのパン屋だの日本食レストランだのディスコだの、まるでニューヨークのイーストヴィレッジのようなタミル地区に閉口して、私はカトマンズをそそくさと後にして、ポカラ行きのローカルバスに乗ったのだった。木の座席は背もたれが直角で腰がすぐ痛くなった。途中ニワトリやヤギも乗りこんで、バスは盆地を抜けて長い長い下り坂の始まりの谷ッ淵へと進んで行った。

ネパールは国土のほとんどが山だ。窓際に座った私の足の下には地面がないのではないかと思えるほどバスは路肩すれすれに走り、急斜面をガタゴトと降りて行く。日本に残した娘の顔が頭をかすめる。祖母に「飲み水もない、食べるものもろくにない、病気になったらどうするんだ」などとさんざん吹き込まれていたので成田にたどり着いたとたんにわずか6歳の娘が泣き出すのも無理はない。「行きたくない」娘のその一言でその日のフライトをあきらめ、いったん二人で実家にもどり、私ひとり日を改めて旅に出たのだった。…日本の新聞に載る自分の顔がよぎる。ネパールでバス転落、日本人旅行者が…などどいう見だしまで想像される。谷底にはバスの残骸が見え過去の転落の跡がなんとも生々しい。

ほんとうはインドへ行きたかったのだけれど、女ひとりと小さい子供のインドの旅は危ないし、ガンジスの落ち日に感激して自殺でもしたくなったら困ると思い、安全で無難なネパールにした。私は20代をニューヨークで暮らした経験がある。ニューヨークでの数年間に味わったカルチャー・ショックに対する逆ショック療法が必要と感じて、それでは神々の国インドあたりで別のカルチャー・ショックを受けたらよかろうと思い、離婚を期に日本へ帰国途中、ネパールへの旅を思い立ったのだった。つまりバランスをとる必要があった。心のバランスを。

私たちは日々、特別な思い入れもなしにバランスという言葉を使っているが、このバランス(平衡)についてちょっと考察してみたい。80年代マンハッタンのイーストヴィレッジは活気と喧騒に溢れ、まだドラッグと犯罪も溢れていた。結婚、出産、育児と経験する中でさまざまなカルチャー・ショックを受け、心身ともに疲れていたことは確かだった。日本へ帰ると決めた時、自分の精神状態がとてもアンバランスであることに気づいた。たまりにたまったカルチャー・ショックの数々を中和してバランスを取り戻す必要があった。

普段一般的に解釈している「平衡、バランス」という言葉の概念は本質的に「良い」意味をもっているようだ。バランスのとれた食事、バランスのとれた生活、バランスのとれた体型、人間関係などなど。また軍備の均衡や経済の均衡など、心身から国際関係までバランスのとれた状態は健康であり、平和である。それでは科学の世界ではこの「バランス、平衡または均衡」とはどのような意味をもっているのだろうか。

科学の世界では「平衡」という言葉を使うが、この「平衡」は大変重要な物理状態あるいは物理現象である。私たちが生きているこの現実世界ではすべての物理現象は平衡状態へ向かうと言われ、これをむずかしくいうと「熱力学の第二法則」というがつまりは「熱エネルギーは勾配(温度差)のあるところではかならず温度の高い方から低い方へと流れ、一様になろうとする」というものだ。またこの熱力学の法則は数学の根底をなすものでもある。

では実際「平衡」に向かうとはどんなことかというと、熱いコーヒーは放っておくといずれ冷めてしまう。熱はかならず温度の高い方から低いほうへと流れ、一様になろうとする。勾配があるかぎりエネルギーはかならず移動する。この熱エネルギーこそが地球をダイナミックな惑星にしているのだ。地殻内部のプレート・テクトニクスや海流、気象現象などを支配し、地球はまるでひとつの生き物であるかのように流動し変化する。私たち人間もそのダイナミックなエネルギーの流動に一役かっているのだからすごい。地球温暖化やオゾン層の破壊など、人類の生活活動が地球環境に多大な影響を与えていると叫ばれて久しい。

地球温暖化に歯止めをかけようとする京都条約は経済大国と途上国双方の負担のバランスに気を使いすぎているために内容が複雑で見えにくいが、地球温暖化という壮大な問題の傘下では、国境と経済較差を超えた土俵作りが必要だ。オゾン層の破壊が主に極寒の地で起きているということが何とも皮肉である。原因の多くは北半球を占める大国の市民生活と経済活動だが、数十年に亘るフロンの使用が大きな要因とされている。フロンは経済効果に優れ毒性がないため、つい最近まで大量に使用され大気中に廃棄されてきた。

しかしフロンは実際のオゾン破壊の化学反応には関与しない。化学的に安定しているため大気中に長期間滞留し上空へと上っていきながら分解され塩素ガスを出すが、この塩素ガスが大変なクセ者で太陽光線が当たると活性化し反応しやすくなる。極地上空で冬の間にこの塩素ガスは微粒な氷の粒に捕らえられて濃縮していき、春、陽の光を浴びて勢いがついた塩素はついにオゾン分子に飛び掛り分解してしまう、というものだ。オゾン・ホールができるまでにはあらゆる種類の勾配、温度や気圧の差などが複雑に関与している。南極上空の大気が急激に冷えると周りの大気を吸い込みながら渦を巻き、この極寒の渦の中で連鎖化学反応が起きる。これらの化学反応も勾配によって生じる。南極の海洋は地球の生態系の根幹となる海洋微生物、プランクトンの中心的生息地である。食物連鎖ピラミッドの底に位置するこれらのプランクトンが打撃を受けると既存の生態系に及ぼす影響は大きい。

南極上空のオゾン・ホール

色はドブソン・ユニットと言って紫からピンクへとどんどんオゾンが薄くなる。

実は地球温暖化こそがオゾン層破壊の原因ではないかとする科学者もいる。地球は分厚い大気の毛布に包まれているが、この大気は何層にも分れている。上空10キロメートルぐらいまでは温度が下がり勾配をもち、そのあと50キロぐらいの上空までは逆に温度は上がり勾配をもち、またその上空90キロぐらいまで温度は再び下がり勾配を持つ。最上層ではまた急激に温度が上がる。温暖化により対流圏の温度が上がるとその上部の成層圏の温度は逆に下がり、これがオゾン層破壊につながっているとする説である。

さて地球がこのようにひとつの生き物とも言えるほどダイナミックなシステムをもっていることをすこしは捕らえていただけただろうか。これらのメカニズムが熱力学によって支配され、常に平衡へと向かう性質のために勾配の傾きが大きいところでは現象もダイナミックになる。

             
左、茶色いのが水星 右は地球


さて今度は太陽系の中で一番小さくて一番太陽に近い惑星、水星を見てみよう。水星の火山活動はとうの昔、30億年前にすでに終わってしまっているらしいことがわかっている。大気ははほとんどないので地表面の風化は雨風によるものではなく、純粋に重力によるものだけであることが予想される。つまり熱エネルギーの循環もなく、およそ平衡に近い状態なのではないかと思われる。

ここでひとつ注意しておかなければならないことがある。もし完璧に平衡状態になってしまうと、どういうことになるか、物理でいう平衡状態は生物の世界で言えば死を意味する。まったく勾配がなくエネルギーの流れがない、つまり代謝がないわけだ。これが水星がほとんど死んだ惑星と言われる所以だろう。水星は月に似ていると言われているが、月の様相も地球に比べればとても生きているとは言いがたい。
さてここでカメラをもっとズウッーと引いてみよう。平衡については太陽のことを説明するのが一番早い。私たちの肉眼では捕らえにくいが、太陽は膨らんだり縮んだりしている。これは重力と圧力がシーソーゲームをしているからだが、太陽は少しずつ重元素を増やしながら燃え続け、やがて燃料を使い果たすと、太陽系の惑星を殆ど飲み込むほどに大きく膨らんで、爆発するというシナリオを持っている。また太陽はその殆どがガスでできているが、それではなぜガスがまあるく丸まったままでいられるのだろう、と不思議に思ったことはないかな。太陽は熱い。何しろ熱い。その熱でもって太陽は膨張する。この膨張を止めているのが重力である。中心の重力がまわりのガスを引っ張って膨張力とのバランスを保ち、太陽が丸まったままでいられるのである。しかし太陽が完璧な平衡状態になることはない。常に膨らんだり縮んだりというサイクルを繰り返して少しずつ燃料を使い果たして行く。前にも言ったように完全な平衡はエネルギーの流れがなく、勾配もないこと、つまり「死」のようなもの。

さて今度はカメラをもっともっともっとずずぅーッ引いて宇宙全体を見てみたい。コーヒーはいずれ冷める話しをしたが、現在、一般人の私でも理解できる宇宙理論は「ビッグバンで始まり膨張を続ける宇宙」である。これは我流の解釈であることを事前にお断りしておく。まずもう一度念を押す。私たちの掌握し得る現実世界を熱力学の第二法則が支配している。第二法則とは熱エネルギーは勾配があるところではかならず高きから低きへと流れ一様(平均)になろうとするものである。
ここでちょっとヤカンでお湯を沸かしてほしい。ちんちんと沸き立ったヤカンのお湯はどうなるか。やがて蒸発して蒸気は部屋中に散らばってしまうだろう。散らばってしまった蒸気でヤケドをした人なないと思う。散らばってしまった蒸気はすでに冷めているからだ。蒸気が冷めるためにはどうしても散らばる必要がある。宇宙も同じで冷めるためには広がる必要がある。もしヤカンではなくて圧力釜を使ったとしよう。調節バルブを完璧に閉めてしまったらどうなるか。ドカンと爆発するに違いない。もし宇宙が最初にとても熱かったとしたら、あとは冷めるしかないということ。しかも冷めるためには散らばって広がるしかないわけだ。宇宙はビッグ・バンのあと私たちの想像を遥かに絶する速さで一瞬にして広がったらしいことがわかっている。

ここでこんどはもう一度カメラをぐっと引き戻し地球上の生物に焦点を合わせてみよう。生物はどうかとみてみると、けっして平衡へと向かってはいない。もちろんいずれ死ぬということは置いておいて(つまり究極的には平衡へ向かっているのだが)なぜか生物だけが、かの第二法則にあまり従わず、むしろ逆らっているということに気がつく。我々は平衡へとは向かいたくない。なんとかして体温を保とうとする。食物を食べて熱を作りだし排出するとブルッと寒くなるのでストーブをつけたりする。とにかく平衡になっちゃあ大変だから。これは押しなべてすべての生物に言えることだ。なぜか生き物だけが宇宙の法則に逆らって(もちろんカメラをずーっと引いて宇宙までひっくるめると生き物の量などタかが知れているので問題にもならないかもしれないが)生き物はローカル的に平衡へと向かわずにエントロピーの増大を防いでいるのだ。これはなぜなんだろう。宇宙のすべてが平衡へと向かう中でなぜ生き物は一時的に平衡に逆らい、究極の平衡(死)までの間に炭素循環に関与してDNAを次世代に受け継ぎながら生きるのだろうか。

さて、この続きはまた次号で。
参照事項

極地で続くオゾン層破壊―産経新聞
http://www.sankei.co.jp/databox/paper/9609/paper/0917/miraisi.html

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